大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島家庭裁判所白河支部 昭和30年(家イ)14号 審判

申立人 林一江(仮名)

相手方 林太郎(仮名)

主文

申立人と相手方とを離婚させる。

申立人と相手方との間の長女ミヨ(昭和二十五年○月○○○日生)及び二女由子(昭和二十七年○月○日生)の親権を行う者を申立人とする。

申立人はこの審判が確定してから二十日以内に相手方に対し金五万円を持参して支払うこと。但し相手方において申立人方より立退くまで支払を拒むことができる。

理由

申立人は、「申立人と相手方とは離婚すること、申立人と相手方との間に生れた長女ミヨ及び二女由子の親権者を申立人と定め、申立人において監護養育する」ように調停して欲しいと申立て、その実情として、

一、申立人は昭和二十四年五月頃、村田次郎の媒酌により相手方と婚姻の式を挙げて同棲し、翌二十五年三月○日その婚姻届出を済して正式に夫婦となつたものである。

二、ところが相手方は生来怠惰な性格者であつて勤労意欲を欠き、申立人方の家業である農業を厭い且つ些細なことで立腹して暴力を振い、殊に申立人の毋林シナとの折合極めて悪く、兎角難題を持ちかけて申立人等を困惑させており、又家から勝手に物品を持ち出し○○市に出かけて行き家を留守にすることも度々である。

三、相手方は昭和三十年一月中旬頃から申立人等に無断で○○市○○町の○○○○保険相互会社○○支店の外交員となり全く家庭を顧みないで毎日午前八時頃起床して朝食を済すと外出し夕刻帰宅しては申立人等の準備した食事をとりながら、申立人等に対しては相手方自身の収入を知らせもしないのみか、申立人等に対し相手方自身の食事代に相当する費用さえ差し出したこともない始未である。

四、相手方は昭和二十八年四月頃申立人等に無断で申立人所有の宅地の一部を勝手に相手方の所有名義に移転登記を済した。

五、申立人は相手方との間に生れた長女ミヨ、二女由子(三女時子は生後間もなく死亡した)を育てながら、年老いた毋シナ等とともに約五反歩の田と約一町歩の畑を作り生活して居るのであるが、相手方においてこれに協力して呉れず勝手な振舞をして徒食するだけなので、申立人と相手方は只名ばかりの夫婦であつて、今後永くこのような生活を続けるに忍びなかつたから、已むなく相手方と離婚しようと決意し遂に昭和二十八年八月頃福島家庭裁判所白河支部に相手方との離婚調停を申立てたところ、これを知つた親戚の真田行雄から、相手方において従来の行動を悔い改めると申出て居るから右調停を取下げるようにと勧告されたのと、当時申立人は既に三女を懐胎中の身でもあつたところから、相手方の改心を期待して、右調停を取下げたものである。しかるに相手方はその後も何等反省するところなく申立人の右期待も全く裏切られたので、申立人は昭和二十九年八月頃前記裁判所に再び離婚調停の申立をした。その調停で相手方は申立人の正当な要求をむげに拒み、徒らに巨額な慰藉料を要求するのみで譲歩して呉れなかつたので遂にその調停も不調となつて終了した。その後においても相手方は依然反省するところなく勝手気ままな行動をとりながら申立人方で徒食を続けて居るので、申立人等毋子の生活も益々苦しくなるばかりであるから、財政的及び精神的の苦痛から逃れるためにも相手方との関係を清算して新生活を立てるため三度本調停の申立をした次第である。

当裁判所は昭和三十年二月二十二日調停委員会を開いて当事者双方に種々調停を試みたところ、相手方は申立人において相当額の財産分与並びに慰藉料の支払をするならば申立人の要求を容れて離婚し且つ当事者間の長女ミヨ及び二女由子の親権を行う者を申立人と定めることにも同意する意思であることを表明しながら申立人より提供することを申出た金額(金五万円)では少額に過ぎるとの理由で拒み、最低限度金十万円を要求して譲らなかつた。そこで相手方及び当日出頭して居た相手方の父村田吉郎並びに申立人等に対し更に熟考を求めて昭和三十年二月二十八日に続行することとして当事者間に告知した。しかるに相手方は右続行期日に無断欠席しそれが当日申立人等において裁判所に出掛けるに当り、相手方にも調停委員会に出席しなければならないことを慫慂されながら、何等正当の理由もなく故意に欠席したものである事情も判明したので、当裁判所は結局本調停が到底成立する見込ないものと認め、調停委員大竹儀重郎及び同角田いよ両名の意見を聴き家事審判法第二十四条第一項に従つて主文の通り審判する次第である。

(家事審判官 坪谷雄平)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例